2011年07月30日

ダンサーであるということ

久しぶりに、ダンスのはなし。

昨日は、10月に行われる「劇場の発見」という企画のリハでした。今回、私は、金魚のカンパニークリエイションにも参加するのですが、光栄なことにダンサーとして、山田せつ子さんディレクションのプログラムにも参加します。(まだ公式HPがオープンしてないみたい、、、また改めてリンクはります!)

で、昨日はその、山田せつ子さんのリハでした。せつ子さんはじめ、独自の世界観をもち、作品を自身で作られる方々で、その中にいるのは、かなりなドギマギでした。ただ振付されるというのではなく、即興ベースの企画なので、まず、いろいろ話すのね。いま、興味があることとか、身体についての考え、模索していることとかいろいろ話すのだけど、「なるほど〜」とは思うのね、もちろん私も。「この人はこうやって動いてるんだな〜」とか「私もそれができたらいいかな」とか。でも、どっかで、その問題や課題を当事者として感じることができないのです。で、途中で気付いた。
私は、いつの間にか、自分が振付家ではなくダンサーなんだと決めている、というか、ダンサーとしての思考になっているんだな、と。
それは、悲しいことでも、自信でもなく、ただそういう状態になっていたってことなんだけど。人に振付したりはできるし、なにがおもしろい動きで、どういう踊りが魅力的なのか、ってのはすごく考えて、自分の判断基準をもってると思う。でも、それだけでは「振付家」にはなれないのだよ、少なくとも日本では。未知なる身体や、未知なるダンスを、仮想し、実験し、結果をだす(公演をするってことだけじゃなくて、歴史にアタックするってこと)ことができなければ、「振付家」ではないと思う。そういう意味では、真の「振付家」なんて、あまりいないとも思うけどね。
私は、少なくとも、自分のカンパニーでそういう環境を経験させてもらって、だからこそ、自分には無理だって思えたんだと思うけどね。

まあ、そんなことを考えながら、「ダンサー」としてではありますが、いや、「ダンサー」というからこそ、めいっぱい踊りたいと思っています。「振付家」の頭なんかぶちぬくくらいの身体、ダンスで!まだまだできることはたくさんあるな。日々がんばろう。

posted by naobaby at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/217547427

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。